上手くなる為の定義、勝つ為の定義。

上手くなる為の定義、勝つ為の定義。

この数年で治療院にトレーニングスペースを併設するところが増えた。 小生が開院した当時はほぼ皆無に等しかったが。

同時にスポーツをうたう所も増えたのだが、その実、名称と見合う高い質を提供できているところは非常に少ない。 揉んでストレッチ指導して、ちょっとした筋力つけましょうと。 昨今で一番ダメなのがファンクショナルなどと呼ばれる類のセミナーうけて、院に生かそうとしている者。 治療に生かすでは無く。 この院と治療の差、この部分の自覚の差が大きくモノを言う。 

鍼灸指圧師で何十年もオリンピック帯同している知り合いもいれば、今どきの道具やセミナー満載でも結局は近所の年寄り専門で、中高学生にナンちゃって運動指導どまり。子供に対しての指導が悪いと言っているのでは無い。ナンちゃってなのだ。

よっぽど変な事で無ければ、何かすればしないより何かしら上達する。 だが所詮そこどまり。 上手くなっても勝てはしない。 揉めば楽になるが、楽になるのと治るとの違いは多くの者が想像しうる以上に大きい。

死に物狂いとよく言うが、当たり前だが死んでは元も子もない。怪我はしたくは無いが、恐れてはいけない。 苦しくなりたくないが避けてはならない。 痛いのを避ける患者は治らないし、苦しい事をしたくない選手は、そもそも選手では無い。 それらの障壁となる様々な不確定要素をどれだけ丁寧に排除していけるか。 例えば子供の患者の場合、その障壁を親が作っていたり、主婦の患者の障壁を亭主が作っていたり。またその逆も。

定義と概念、転んで膝が痛いのと、転んで無いのに膝が痛いのを同じような治療しているようでは、まさしく論外なのである。