情報と経験と知識

情報と経験と知識

今日は車の話し。 

昔、薄っぺらい車好きの友人に「ダカラお前はダメなんだ!」と言ってやった事がある。薄っぺらいとは、車高の低い車の事では無く、車好きを語るにはあまりにも浅はかだという意味で。

当時そいつ言うには、自分が乗っている車はドライブシャフトが壊れるのは宿命だ、皆壊れると。 皆って何人だ?全員か?! レースまがいの事をしていたそいつだが、いやぁホントに薄っぺらい。 仮に過酷に使えば壊れるとしても、そいつはいつもそれでお終い。 誰かに壊れると聞いて、壊れたらホラね!だ。

他人から聞く、今どきならネットでは情報を得ただけ。 もし壊れて自分で直したら、それは経験。 以前患者で海外でも活躍した事があるプロのレーサーがいたが、その人が「車を壊さないでゴールまで届けるのが我々の仕事だ」と言っていた。 どうすれば壊れないか、壊れないようにするにはどうしたらよいのか?を考えて、答えを導き出せてはじめてそれらが知識となる。 小生のその友人は殆どが情報どまり。タマに経験をしても、それらをさも知識の様に知ったかぶってドヤ顔。 

たまたま偶然であるのだが、本当に車に詳しい別の友人がそいつと同じ車に何年か乗っていた。当時そいつもソコソコ、サーキットを走っていたが、一度も壊れた事が無いと言っていた。壊れないように走ってメンテナンスしていると言っていた。  しかも散々ウンチクたれてたダメな友人は、結局アッサリ車を手放していた。 工夫も愛情もあったモンじゃ無い。

昨日必死にどうしても治したいとやって来た新患をみながら、そんな昔の事を思い出した。 その患者は後者の詳しい友人タイプ。 小生の仕事はその熱意と情熱に応え、手を貸す事。 諦め投げ出し、他人のせいにする患者ではまったく無かった。

身体は壊れても交換は出来ぬのだから、当然の話し。 良くなるまで治るまで、こちらも絶対諦めたりしないから。