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かかりつけ医とセカンドオピニオン

かかりつけ医とセカンドオピニオン。 どちらも重要で大切。 どちらがどっちとは決められぬのだが、もし自分自身が岐路に立たされた時、どちらの意見を尊重するのであろうか?!

例えば普段、かかりつけの院へ通っていたとしよう。 そこで残念ながら症状が良くならないと仮定しよう。 当然そこで患者はセカンドオピニオンと言う言葉を思い出す。 そして他の院を探し出し、足を運ぶ。 至極当然な思考・行動で、間違えてはいない。 いや、そもそも当たっている間違っているでは無く、考え方や処理の仕方に無理なところがなく適切であるかどうか?! いわゆる妥当かどうかなのだ。

妥当性と言う部分。 意味を曖昧と勘違いしている者もいるが、そもそも物事の根本的な思考に問題が在るので、同じ過ちを何度も繰り返してしまう。

確かになかなか治らなければセカンドオピニオンという発想は悪くは無い。 しかし、何処を、何を、いつを持ってなかなか治らないと決めつけたのだろうか? 

たとえば風邪をひいて内科へ行き薬を貰い、一週間。 それで治れば良いが治らなかったらどうするか?! 小生ならもう一度同じ医師のところへ足を運び、症状・経過を伝える。 だが中にはすぐ他の病院へ行く者もいる。 何でもかんでも一回の診療、治療で治る訳は無い。 そもそも、しっかり膝を付け合わせ、症状と経過を聞いてくれるところをかかりつけと選ぶ。 間違えても検査を重んじるところは選ばぬ。 検査の意味も分らぬのに、検査を喜ぶ、信じる事自体愚の骨頂だ。

中には治ればナンで良いと、何件も行く患者もいる。 商売柄立場上、直接的な意見は述べにくいのだが、点かないテレビを片っ端から叩くような行為は、次から次へと発生する問題点を、確実に迷宮へと送りこんでしまう。

来る者拒まず去る者追わずなのだが、例え一回でも来た患者の事は、その後の経過はその後もずっと気になるモノ。 一生気になるとは言わぬが、少なくとも今現在は記憶の続く限り繰り返している。

選択とは他人に任せる事でも、他人が決める事でも無い。 人を見抜く前に、先ず自分自身を正しい目で見抜く。 自分で自分を見抜くのだ。 結果はその先なのであるのだから。

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2012年07月11日 08:52に投稿されたエントリーのページです。

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