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失敗とともに最後に残るものは...

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そもそも多くの人間は、失敗を認めぬもの。 

買った車を 『自分のは当たりだった』 、 自分のせいで売上・業績が悪くても 『リーマンショック以来、』 と言ってみたり、 知らない間に○○だった、聞いていないから××でも仕方が無いと、小学生の言い訳と大して変わらぬ事を言う。 

小生の仕事上であると、悪く治らずやって来るのだが、まぁ見事にアドバイスを聞く気は無く、多くの場合とんでもないトレーニング、現症状に合わない間違えた健康法をしていても、コレで強くなったから、このお陰でだいぶ良くなったから、コレで痩せたからとと、見つめ直し考え直す思考発想の転換などする気はサラサラ無い。 いつかどこかに自分に合うトレーニング、治療が必ずあると思い込んでいる。 20代、30才チョイの未熟ナ若者が転職を繰り返すのと同じ状態。

努力とは何か?

何でも親の金、パパママの送り迎えを当たり前のように、ちっぽけな事でも自分以外に頼って生活する事、生きる事に疑問を何も感じないのであれば一生そうして生きればよい。 自分で築き上げた物など何も無い人生で良いのであれば。

学生の頃、大変お世話になった先輩が、 『カネが無ければ頭を使え、頭が無ければ体力使え。』 と言っていた。 失敗を失敗と思わぬ多くの者は、頭も体力も使わず他人任せ。 勝手気ままにその時の気分で言う事もコロコロ変わる。 言った言わないの喧嘩にもよくなるケース。

最後にもう一つ、その先輩が言っていた言葉がある。

『頭も使わず体力も使わなきゃ、最後に残るは “馬鹿” だけだ。』

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