毎日どの患者さんを治療していてもふと思う事が有る。
それは、 この患者さんと同じような症状、以前来ていた○○さんと同じだなぁ と言う事。
患者の人数分だけ、全員に思う。 今では自然とそう思うが、当初は患者に触れる前に意図的に思い出すようにしていた。
今日した治療、仕事が完璧だとは思わない。 もっとこうしたら良かったのではないか? もし万が一、間違っていたらこうするべきだったのではないか?? より完璧を求めて、 なんてカッコイイ事言うつもりは無い。 が、反省、後悔してこそ人間の脳は進化するものらしい。 決して奢らず、自己否定しながら新しい答えを模索していく。
しかし、もしこれが本を読み漁った知識から導き出したものであったとしたら、所詮その知識、診断の根拠は他人から譲り受けたものであり、自分自身の中身から絞り出したものでは無い。 仮に間違い、問題に直面したとしても、新たな答えをまた他人から出すのであろう。
本を読み、講義を聞き、確かに熱心であるが、何かが大きく欠けているのである。
小生と類似の職業で多い間違いは、テクニックに非常にこだわり、妙な自信を持つ者。 果たしてテクニックが何処まで重要なのであろうか?!
例えば飲食業。 海外修行でたしかに腕は良いとしても、感じの悪い横柄な店主のところへ行きたいと思うか? 例えば最新の技術をつぎ込んだ自動車。 金額的にもスピード、性能的にも、必ずしもその最新が貴方にとって必要不可欠なものであるのか? 最新の技術を持つが、態度の悪い医師のところへ怖がる子供を風邪で連れて行くかどうか?!
消費者、ユーザー、患者から見て何が今一番必要な要素なのか? それを理解したうえで、患者、治療にとってテクニック以外に、自分に欠けている物が有るのではないのか。
診察、診断力は手先の技術では無い。 全く違う所に診断のスキルは存在する。
患者一人一人を想う気持ち。 そのパワーの前では、手先の技は自己満足以外の何物でも無いのだから。