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一人称の欧米人、二人称の日本人。

昨日、自分で書いたブログを自分で一日考えていた。


以前は欧米でだけ感じていた違和感が、日常生活においても年々日々増えているのは何故かと。 その説明は概ね昨日の内容で解決できたのだが、では何故そのような日本の社会になってしまったのであろうか。

勿論まだまだ極一部の日本人であろうが、自分だけの目線、考えでしか発言できず、他人がどう思うかなどまるで頭には無いのだ。 

お中元お歳暮をカタログで済ます昨今、確かに自分が欲しい物を手に出来、無駄にならんのだが、ずっと違和感を感じている。 そもそもお中元お歳暮は感謝の意であり、貰った物そのものでは無い。 「あの人はビール好きだったなぁ」 などと、気にかけていてくれる気持ちが嬉しいモノであるはず。 例えそれが自分の好みと違っていても、「たいそうなものを」と言い、あげる方も 「つまらないものですが」 と言う。 本心で無かったとしてもそれが日本人の良い所だと小生は思う。

本来の日本人であれば、誰に対しても二人称同士の関係を前提にして相手と自然にかかわり、接していた。 それがいつの間にか物事をはっきり言う事と、他人を思いやらずズケズケ発言するのとを勘違いしてしまっている。 

それらは親など周りの大人が伝え、教育せねばならなかった部分。 物や便利さに囲まれて自分だけで何でも何とかなる世の中になり、他人とのかかわりを物理的に必要としない生活が、その心の繋がりまでをも失ってきてしまったのだ。

そんな大人が育てた子供。 思いやりなど、どんどん欠落していくに決まっている。

日本人の本当に素晴らしい部分をもう一度見つめ直し、磨き直さねばならぬ時代に来ているのだと小生は思う。

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