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治せなかった患者

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治った、治せた患者の話しをズラズラ載せる。 まあ、今どきでうわっ面に惹かれる患者には良い広告だ。

『○○在住××さん、ウん十歳。腰痛で来院。ほにゃららぺけぺけが原因で、10回で完治』 な~んて広告、そんなんは年配女性の先生が情に訴える広告ダ。来た患者全員治すの当たり前でいちいち書くナ!! っと昔はよく先輩に言われたモンだ。

治せない患者を書く方が小生的には向いている。

スイスにある、とある慢性疼痛疾患を専門で見るクリニックでは、初診時はもちろん、中間でも治療のココまでの経緯や、これからの方向性について患者と幾度となく話し合う。そして提案を患者本人が理解、受け入れる事が出来なければ他のクリニックを勧めるケースもあると言う。

問題はその提案をどう受け入れるかと言う事。 患者本人が理解する努力をどれだけ出来るかにかかって来る。 ウチでもこの手の提案をするとき、しばしば「素人だから理解できない」と言われる事がある。 それは此方も百も承知だ。 わからないところから考える。 すぐわかるのは思いつくであり、わからないところからどれだけ考えるかが、考えると言う事なのだ。 しかし、頑張っているという患者ほど本やネット、他人の情報受け売りで、自分自身の中から答えを絞り出す努力、真の考えると言う事を放棄しているのだ。 “考える” という言葉の意味、そのスタートから間違えてしまっている。

古くからのウチの患者でもある、誰でも知っている大企業の経営者の男性が言っていた。  『本当に頑張っている人間は、自分で頑張っているなどとは言わない』 と。

我々の同業にも数多くいる。 昨今、知人友人で経歴・肩書は立派な大先生。 確かに経験は大きな財産だが、いざ患者に治療に当たるに関して整体・カイロの学校に入学し、金を払って知識や技術を習得すれば治せると思っている。 魔法の技術があると思っているのであろうか?! 町に整体・カイロ、マッサージは五万とある。 まして医者病院で治らないと言ってやって来る患者に、同じ整体・カイロ・マッサージして治ると思っているところが、コレマタ凄い。 何処へ行っても治らないと思っている患者を治したいと少しでも思っているのなら、知識・技術では治らない事に気付けるかどうかだ。

自分の知識と経験を超える努力。 それこそが “考える” と言う事なのだ。


他人の受け売り人生に、小生は全く興味の無ければ魅力も感じん。 個性とは何処からか持ってくるものでは無く、既に自分の中にあるものなのだから。

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